陶山書院 ユネスコ世界遺産 文化遺産

陶山書院(トサンソウォン)の建物群は、建築的観点から見ると、陶山書堂(トサンソダン)と陶山書院の建物に分けることができます。陶山書堂は、朝鮮時代中期の著名な儒学者・退渓(テゲ)李滉(イ・ファン)先生自らこの場所に住み、弟子らに教えを施したところです。一方、陶山書院の方は李滉先生が亡くなった後建てられ、追加で建てられた祠堂や書院の建物群を指します。 陶山書堂は1561年、李滉先生がこの地に戻った後、学問の研究と後進養成のため建てられた建物です。この建物は陶山書院の中でもっとも古い建物で、李滉先生自ら設計したものといわれています。当時、儒生らの寄宿舎の役割を果たした隴雲精舍(ノンウンジョンサ)や陶山書堂を管理する人が暮らす下庫直舎(ハゴジクサ)も同時に建てられました。 これに対して陶山書院は李滉先生が亡くなった6年後の1576年に完工しました。1570年に李滉先生がこの世を去ると、1572年、李滉先生の位牌を尚徳祠(サンドクサ・宝物)に祀ることにしました。その2年後、地元の儒林(儒学者)の公議により祠堂を建て位牌を奉安、典教堂(チョンギョダン・宝物)や東斎(トンジェ)・西斎(ソジェ)の建物を造り、書院としての形ができました。 1575年には朝鮮時代の書家・韓石峰(ハン・ソッポン)が書した「陶山書院」の扁額を王より賜り、賜額書院として現在の慶尚道・嶺南(ヨンナム)地域の儒学の総本山となりました。1615年、士林(儒学者)らが朝鮮時代中期の文臣・趙穆(チョ・モク)を新たに祀りました。1792年、朝鮮王朝第22代の王・正祖(チョンジョ)が致祭(チジェ=王が祭物や祭文を贈り祭祀を行うこと)を行うこととし、陶山別科を新設しました。続いて1796年には試士壇(シサダン)を、1819年には蔵書庫・東光明室(トングァンミョンシル)を建立しました。 1870年に行われた興宣大院君(フンソンデウォングン)による書院撤廃令では、陶山書院は撤廃令の対象外となり廃止を免れました。1930年には西光明室(ソグァンミョンシル)を増築し、1932年には下庫直舎を移築しました。1969年には陶山書院を中心に林野及び田畑19筆324,945平方メートルを含む地域が史跡に指定されました。1970年からは大統領令により補修・増築事業を進め、韓国の儒学思想の精神的な故郷として聖域化されるに至りました。1977年には陶山書院管理事務所が設置され、管理運営条例を制定・公布、今日に至っています。

情報

  • 問い合わせ・案内 82-54-856-1073
  • 駐車場 あり
  • 休憩日 年中無休
  • 営業時間 夏期 9 00 18 Br 冬期 17

場所

キョンサンブク道アンドン市トサン面トサンソウォンギル154

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