慶州東宮と月池

慶州(キョンジュ)東宮と月池は、新羅時代の王宮の別宮があった場所です。他の付属建物と一緒に王子が暮らす東宮として使用され、国の慶事があるときや貴賓をもてなす際に、ここで宴会が開かれたそうです。新羅の敬順王が甄萱に攻め込まれた後、931年に高麗の太祖・王建を招いて差し迫った状況を訴え出、宴会を催した場所でもあります。新羅が三国を統一した後、文武王14年(674年)に大きな池が掘られ、池の真ん中に3つの島と池の北東に12の峰の山が造られ、ここに美しい花や木々を植えて珍しい鳥や動物を飼ったと伝えられています。高麗時代の『三国史記』には臨海殿についての記録だけがあり、池については何の記録もありません。その後、新羅が滅びて高麗時代と朝鮮時代を経てここが廃墟になると、詩人墨客が池を見て「華やかだった王宮は跡形もなくなり、雁と鴨だけが飛び交う」と寂しい詩を詠んだことから、ここが「雁鴨池」と呼ばれるようになったと伝えられています。その後、1980年代に「月池」という文字が刻まれた土器の破片が発掘され、ここが元々は「月の映る池」という意味から「月池」と呼ばれていた事実が確認されたため、「雁鴨池」から「東宮と月池」に名称が変わりました。

情報

  • 問い合わせ・案内 82-54-750-8655 82-54-750-8650
  • 駐車場 あり
  • 休憩日 年中無休
  • 営業時間 9 00 22 最終チケット販売 入場21 30 Br 観光客が定員を超えると 入園締切時間内に訪れても入園できないことがあります

場所

キョンサンブク道キョンジュ市ウォンファロ102

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