華城 隆陵 荘祖 献敬王后 と健陵 正祖 孝懿王后 ユネスコ世界遺産 文化遺産

隆陵(ユンヌン) 隆陵は朝鮮第22代正祖の父である荘祖とその妃・献敬王后洪氏の合葬陵です。荘祖は朝鮮21代英祖の2番目の息子であり、1736年に皇太子となりました。さまざまな方面において皇太子としての優れた面貌を備えていましたが、1762年に父・英祖の命令で米びつの中に監禁され亡くなりました。荘祖の陵は元は京畿道楊州郡拝峰山にありましたが、彼の息子・正祖が即位すると華城の華山に移し顕隆園としました。後に荘祖として追尊され現在の位置に墓を移した後、陵号(墓の名前)を隆陵としました。 献敬王后は1744年に皇太子の妻となりました。夫が非業の死を遂げた後、還暦を迎えた1795年、甥・洪守栄の願いで荘祖の惨事を中心にした自伝的回顧録「閑中錄」を残しました。資料的価値の高い「閑中錄」は「仁顕王后伝」とともに宮中文学の双へきを成しています。 京畿道華城市安寧洞にある隆陵は、皇太子の墓である本来の形式に木蓮と蓮の模様を刻んだ屏風石を設置し、上界空間と下界空間に分けて空間を王陵のように作りました。上界には陵、魂遊石(魂が出てきて遊ぶようにした石という意味で、王陵の封墳の前に置かれた四角形の石)、 望柱石(墓の前の両側に造られた一対の石柱)が配置されており、下界には文人石(長明燈の左右にある文官の形をした石)、石馬(石で造った馬)が配置されています。 健陵(コルルン) 健陵は正祖と彼の妃の孝懿王后金氏の墓です。 正祖の遺言に従い父の陵である隆陵から近い場所に安葬されました。荘祖と献敬王后(惠慶宮 洪氏)の2番目の息子であり、1959年、8歳で皇太子の長男となりました。党争の渦の中王位についた正祖は、在位24年の間蕩平策(党争の弊害をなくすために各党派で人材を登用した政策)を実施して国を治め、王室の図書館である奎章閣を設置し、学問の研究に大きな業績を残しました。 彼の妃である孝懿王后は金時黙の娘で1762年、10歳で皇太子の長男の妻になりました。1776年に正祖が即位し王妃となりました。一生をつつましく暮らし、1821年に昌慶宮慈慶殿にて69歳でなくなりました。 健陵は合葬陵で隆陵の例に従いましたが、屏風石(封墳を保護するために 封墳の下の部分を囲んだ石)を巡らせた点を除けばほとんど隆陵の構成と似ています。 健陵や隆陵とともに同一史跡に指定されました。

情報

  • 世界遺産 1
  • 問い合わせ・案内 82-31-222-0142
  • 駐車場 あり Br 駐車時間9 00 18 30 冬季9 17
  • 休憩日 月曜日
  • 営業時間 2月 5月 9月 10月9 00 18 6月 8月9 30 11月 1月9 17 入場券販売は閉園1時間前まで

場所

京畿道 華城市 孝行路481番キル21

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